昨日は柴又の農協ショップまで行き、農家のお米や白菜、地植えの水仙、ほうれん草など買ってショッピングカートに詰め込み、ガラガラ引きながらいつも行く鰻屋さんに寄って久しぶりに鰻を買って帰宅、床屋から帰ってきた夫と鰻ランチを美味しく頂きました。この所着物のお客様が過分なチップを下さるので、有難く頂戴し、今日は合羽橋へ中華せいろを買いに行こうと思っています。
娘は今年は13人のお嬢さんに振袖を着付けたそうで、たいしたものだなと思いつつ、経理関係でトラブルがあることも聞いていて、どの世界でも問題はいろいろあるものだなと感じています。夫が床屋さんで新年のご挨拶に戴いたハンドクリームがとても良くて、手荒れに悩んでいた私にとって嬉しい限りで、静かに暮らしていても思いもかけず嬉しいことは多いのです。
暮れに起こった私の仕事上のトラブルとその後の経過を去年の五月にボーイフレンドと来て、私の70歳の誕生日にプレゼントを持ってまた来てくれたジェニファーに知らせたら、今朝がた長いメールを送ってくれました。どうしてそういうことになったのか、エアビーの会社はどう対処したのか、これからどうするのかと質問された最後に、ゲストとしての自分たちへのレビューをリクエストされ、南アフリカから来たデザイナーの女性からも同じことを頼まれて書いたことを思い出しました。ジェニファーも色々抱えて生きている女性です。会っている時はいつもハイテンションで屈託ない笑顔でいるけれど、根本的なところに大きな悩みや葛藤があり、それは解決できないものかもしれず、でもそれをクリアできるのは自分だけなのだということを彼女と時間を過ごして強く私が感じていることなのでした。
だから私はこのバッドニュースを彼女に知らせました。結局自分ひとりが考え、体験したことが全てで、懸命に毎日を生きている彼女も色々抱えていて、何かのつながりを求めてるけれど、会話でコンタクトをとるのは私には厳しくて、メールでやり取りする方がいいのです。
「何かを学ぶためには、自分で体験する以上にいい方法はない。学べば学ぶほど、自分がどれだけ無知であるか思い知らされる。自分の無知に気づけば気づくほど、より一層学びたくなる」
「学ぶとは、本当の自分と向き合うことで、大切なのは自問自答し続けることである」
「困難の中に、機会がある。人の価値とはその人が得たものではなく、その人が与えたもので測られる。成功者になろうとするのではなく、むしろ価値のある人間になろうとしなさい。誰かの為に生きてこそ、人生には価値がある」
「この世は危険なところだ。悪いことをする人がいるためではなく、それを見ながら、何もしない人がいるためだ。」
「想像力は知識よりも重要で、AI時代においては、知識を基盤としつつも、それを超えた創造力や創造性を磨くことがより重要になるといえる」
「自分自身の眼で見、自分自身の心で感じる人は、とても少ない。何かを学ぶためには、自分で体験する以上にいい方法はない」
地球を感じたい、それが自分の夢と言って、リヤカーを引いてアメリカを歩き続ける男の子は、過酷な自然の中で一人でいつも自分に問いかけ、考え続けている、その顔は何にも毒されず清々しいのです。地球を感じるために徒歩でアラスカからアルゼンチンまで歩くなんて、なんて突拍子もない事だろう、でもそれは彼自身の創造性を突き詰める表現なのです。人の価値とはその人が得たものではなく、その人が与えたもので測られる。
誰かのために生きてこそ、人生には価値がある。そのために己を磨く。道は永遠に続くのです。前を見るな。後ろも見るな。恐れず悔いずに、お前自身の内部を見よ。過去や未来の奴隷となっているかぎり、誰にも自己のなかへ降りてゆくことはできないのでした。私は過去の奴隷になっていた、だからあの彼女は私をものすごい勢いでひっぱたいたのです。
久しぶりに行った浅草は、着物姿の外国人であふれていました。可愛いヘアスタイル、フリルやアクセサリー付けたアジア系や日本人の女の子たちが楽しそうに歩いているのを見ながら、獺祭の甘酒を飲んだり、韓国のゲストの女の子が此処で買った狐のお面を探したりして歩いてお寺の境内に入ると、今度は振袖の女の子たちが沢山います。すごいなと思ってふと脇を見ると、今度はアオザイを着た女の子たちが集団で写真を撮っていて、これが返って新鮮でした。日本人が経営していないお店もずいぶんあるだろうし、柴又も中国やベトナムのお店で着付けたアジア人が来ていたことを思い出しました。民泊も中国人経営が多いなかで、日本の歴史も文化も伝統も語られることはない、それをしなければならないのは私たちだった。
本当に過渡期です。此処でやめることが出来て本当に良かったのです。笑顔で歩いている外国人の中に、浮かない暗い顔をして、歩いている黒人のカップルがいました。居場所がないのです。100人以上の外国人がいて、その中のこの一組私は着物を着せたいと思いました。何かを語り合いたいと思いました。やはり、どこかに続く細い道はまだあるのでした。