扉を閉める時

 確定申告をする準備を始めようと、去年のレシートや拝観券の入った箱を開けて整理をしていると、いつもお世話になっている青戸の着物やさんの領収書の一枚に日付がないことに気が付きました。男物の仕立て直しや振袖のお手入れなどしていただくのに何回も伺ったのですが、膝を悪くしたり体調がすぐれなかった時もあって、私がずいぶん元気がなく、話すことも消極的になってきていると言われたことがありました。去年は義母が亡くなり、私は70代になり、色々な変わり目でなんだか身も心も弱ってきて、つながりのあるゲスト達にも悲観的な考えになっていると心配され、今度は明るい前向きな話が出来るといいねといわれたりしていたのです。

 長いこと一階の仕事場を着物用に使ってきたけれど、テナントの話がうまく決まるなら、すべてのものを片付け、二階や三階に移動するようになるので、今までのエアビーの体験も変えなければならなかった、だから最後のゲストの痛烈なカウンターパンチにはびっくりしたけれど、だからこそ踏ん切りがついたと思っています。私の心の中の偽善や慢心を引きずり出し、公に明らかにしてくれたことで、私はこれからどうやっていけばいいのか選択していかなければならない、その時期がきたのでした。もう晩年だから、余生をどうしようかなんてどうでもいいことなのでしょうが、ここまで世の中が混乱していて、且つ情勢が変わり、潮目が変わり、動き出しているこの変革の時に、これまで持っているカードを繰り出して、何かができると気が付きました。自分と向き合い、自分を作り上げたものを再確認する、自分が誰の影響を受けて育ったのか、自分が大切にしてきたものはなんだったのか、自分は何が嫌いで何が好きで、これから何を嫌って何を好きになって生きていくのか。

 トランプ大統領が就任して、やっとこれからいろいろなことが変わって正常に戻る道筋を辿れると喜んでいる私と、毎日テレビの画面を食い入るように見ている夫は全く真逆な立場で、会話もできなくなっています。世界を征服するには、頭脳が必要だ、そんな言葉がありました。生きるっていうことは、多分逃げないできちんと考えること。「終わり」と向き合うこと。前を見ない、後ろも見ない、恐れず悔いずに、自分の内部を見る。過去や未来の奴隷となっている限り、誰も自己のなかへ降りて行くことはできない。生きること、愛すること、知ること。それが人生の意味です。風の強さを知るには、横になってではなく、風に逆らって歩いてみることだ。何か見えないものに立ち向かうように挑戦する、諦めない心の強さ。突き進み何かを掴み取ろうとするその姿と矜持。できないなんて言葉は無く、自分の存在意義が揺らいだ時、それでもすべてを飛び越えて、生きていることを支えてくれるのは、誰かが無条件に、その存在を愛し、肯定してくれることなのだと言います。

 確定申告の帳簿を附けながら、去年来たゲストのリストを作っていると、こんなに印象的な人たちがたくさん来たんだと感慨にふけってしまいます。そしてそれを全て終わらせてくれた、あの彼女にも、感謝したい気持ちなのです。沢山の扉をくぐってきて、いろんなことがあって、そして扉を閉めます。これから全てを発酵させなければいけません。また新しい扉を開けるために。