暮れに銀座の澤井珈琲店で買ったモカとキリマンジャロの豆がなくなったので、今年初めての銀座に出掛けました。今日は寒いから、厚手のセーターに水色のオーバーコートを着て電車に乗り、東銀座の駅に着いて歌舞伎座の地下のお店コーナーにいくと、なんだか着物の方がとても多いのです。コーリンベルトを買いに入った都粋というお店のハンガーには対丈の留袖が2枚かかっていて、思わず手に取って見ていると、着物姿の店員さんが、「真ん中を切って羽織れるようにしたら、外国の男性がすっと着て見てとてもカッコよかったんですよ、買わなかったけれど」と教えてくれました。2万円近いし、これを着て普通に町は歩けないでしょう。ファッションショーなら素敵、そう言えば南アフリカのデザイナーの女性が留袖をとても気に入り、4枚持っていってその代わりに彼女のブランドのビーズのバッグを下さったことがあり、あの留袖たちはどうしているかとふと思うのです。切ったりすることは無い気がする、お姫様のように羽織ったり、斬新に纏ったり、彼女達のインスピレーションを刺激するものとなって欲しい、今私が思うのはそんな事なのです。
寒いから着物姿の女性たちはたいていコートを着ていて、鮮やかなオレンジの道行を見かけ、私が若い頃はよく着たものだと懐かしくなりました。正直古めかしくて時代遅れの気がずっとしていたのだけれど、意外と新鮮で、こうやって沢山の日本の方々が歌舞伎を見るために着物を着て集うということが本来の姿だと改めて感じています。私の中のベスト着物姿は日本人の旦那様と黒髪のグレーの訪問着を着た外国人の奥様が歌舞伎座の前で写真を撮っているのを見かけた時で、一分の隙もない着物姿と、喜びにあふれた奥様の顔、誇らし気な旦那様の顔が素晴らしいハーモニーを醸し出していたのです。
正直、着物を揃えて着るにはとてもお金がかかります。裕福な訪日外国人はデパートで長襦袢からすべて揃えて買って行ったという話を聞いたことがあるけれど、お国へ帰ってそれを着るのはとても大変、でもドイツのレナちゃんのように自分でちゃんと着られる女の子もいる、体格の良い彼女があと3キロ痩せたら、私の着物がみんな着られるんだよと私はいつも言うのです。
ああ、サロンのようなものを作りたい、着物を着て歌舞伎に行きたい、相撲見物に行きたい(前にインドネシアの女の子2人、単衣の着物を着てお相撲見物をしました!)コンサートに行きたい、ミニファッションショーをしたい、そういう希望を持つ方がいらしたり、いろいろな話をする空間が出来たらいいなと思っています。化繊のカラフルな着物に半幅帯を締めた背の高い外国の女性を見かけ、思わずガン見してしまったけれど、浅草にあふれている着物姿は歌舞伎座の中では浮いてしまうし、何より長い歌舞伎のストーリーについていくのもまた大変でしょう。前に結婚式に招待された若い女の子が浅草で着物を着て列席したと聞いたことがあり、そんなこともあり得るだろうと思う反面、素敵なイタリアファッションを纏って日本の結婚式に招かれたゲストの写メはやはり素晴らしかった、付け焼刃でない真の文化は優れていて、心地よいのです。
義母の妹さんの旦那様が具合が悪いと聞いていたのでお見舞いのお菓子を送り、帰りに産地直送の完熟イチゴを買ってエレベーターに乗ると、小柄なひっつめ髪のおばあさまが紬のアンサンブルをゆったり着て歩いていらして、昭和の年配の着物姿の美しさの境地を見た思いがしました。日曜日には民泊のホストをしている奥様が志ま亀の黒い小紋を着て赤坂での女子会に出掛けるそうで、金地の袋帯が一人で締められないとのこと、朝いらっしゃいます。卒業式の袴の予約が入ったりすると気持ちが引き締まります。やれることがあることがうれしいのです。
世の中はとても不安定で、明日がどうなるかもわからないけれど、毎日ベストを尽くそうとしていると、いいことがやってくる気がします。